「お袋越え」はいつの日か。
母さんに会うと
必ずコロッケと煮物を お土産に作ってきてくれる
久々に食べるお袋の味は
いつだって美味いに決まっているんだ
やっぱり何かが違う
何が違うんだろうか
まだまだアタシでは この味にならない
「家のコロッケはどんな形か?」という話になったりすると
小判型が多い中
フナクボ家は俵型なのですが
最近では
「コロッケなんて
買ってきたモノしか殆ど食べたことないです」
なんていう子も多い
そうか お袋の味って 総菜屋の味になってしまっているのかと
少々哀しくなるが
逆に言えば
うちの母さんが当然の様に作ってきてくれた
おかずのアレコレに
しみじみ感謝しなければと思う
昨年作った曲『ピカイチ弁当』の歌詞の中で
母さんの弁当は茶色いなんて
失礼なこと言っちゃってね・・
でも否定出来ないしっ
(でも美味しいんだって言ってんだから許してね)
見た目よりも重要なのは中身よ
って歌っている
それは料理でも人間でも同じだと 言いたかったのだ
天災にも負けず懸命に育てられた 甘みの広がる野菜のように
人生の荒波に揉まれ 色んなものを削ぎ落とした人には
どんな上手に振る舞ったって敵わない
穫れたての魚の美味さには叶わない様に
若さに勝てない現実だって 当然あるけれどね
歳を重ねる程
人の中身が透けて見えるようになってきた気がする
自分も透けて見えているのかと思うと ビクビクします
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