朝日新聞 地域コミュニティ紙
我が街かわら版
コラム『ウタ唄いの母ちゃん』
10足め
〜私の大好きな先生〜
子供の成長と共に必然的に関わってくる、学校の先生という存在。
子育を聞いていても、子供と教師との相性は重要らしい。
振り返れば私にも「仰げば尊し〜我が師の恩」と
思わず口ずさみたくなるような先生との出会いが、幾つもあった。
高三で担任だった英語のI先生。
音大への推薦入試に必要な内申点がギリギリだった私に、
英語の成績を奮発し一段階アップしてくれた。
私が校内の合唱コンクールに向け、
クラスのリーダーの一人として熱心に動いていたことが加味されたようだ。
自分の得意分野で必死になれば、
この先も何とか乗り越えて行けると実感した瞬間でもあった。
中三時代の担任は野球大好きなK先生。
当時からプロ野球ファンだった私はいつもその話で盛り上がった。
デビュー後、地元ホールでラジオの公開ライブに出演した際は、
先生の名前で楽屋に花束が届き驚いた。
しかも先生はそのホール近くの中学校で校長となっていた。
客席でその姿を見付け、歌う姿を見せられたことは、実に誇らしく幸せだった。
そして小学五、六年の担任だったN先生。
私が文章を書くことに目覚め、
日本語の面白さを教えてくれたのはこの人だった。
言葉の表現力にも注力し、私は授業参観日に
「走れメロス」のクライマックス部分の朗読に抜擢された。
自宅で普段ろくに勉強もしない自分が、
本番に向け教科書片手に幾度も練習を重ねる姿は、我ながら奇跡的な光景だった。
学校という狭い世界から、比較にならぬほど広いその先の世界を
いかに子どもたちに想像させられるか。
教師にとっては単に教えるという仕事以上に、
豊かな人生経験を持つことが圧倒的に子供達の可能性をも広げるように思う。
近年教師の過重労働がいわれる。
授業の準備時間と共に、先生方には是非、
自身の人生を膨よかにするための自由時間を、確保して欲しいものだ。