朝日新聞 地域コミュニティ紙
我が街かわら版
コラム『ウタ唄いの母ちゃん』
6足め
〜私と夢と、極貧生活 〜
「若い時の苦労は買ってでもせよ」。
今だからこそ頷ける、このことわざ。
先日も、実家から出たことがないと話す独身者を捕まえ、
結婚前に一度は一人暮らしをしてみた方がいいとお節介にも強く勧めてしまった。
それ程私にとって二十歳からの自活の日々は、
今じゃ幾ら出したって買えぬ、険しはあったが眩い時間だったのだ。
当時はまだまだ現実の厳しさにも鈍感で、
むしろ夢の実現に対して根拠のない自信だけが満ち溢れていた。
初めての一人暮らしは、
横浜市内で見付けた六畳一間、家賃五万円のワンルームアパート。
部屋に唯一ある窓を開ければ、
目の前に隣のアパートの壁面が立ち塞がり、日当たりはゼロだった。
「ユニットシャワー」という聞き慣れない代物は、
一畳ほどのシャワールームの中にトイレがあるというもので、
毎晩シャワーの度に便座はびしょ濡れになった。
バイト代で貯めた貯金は引越しでほぼ底をつき食事は基本、
三玉百円のうどん。朝昼晩に食した。
病気をしても薬は買えず駅前の八百屋にフラつきながらバナナを買いに行った。
部屋の壁が薄過ぎて、お隣の電話の音で目覚める朝も。
そんな貧乏話をしたらキリがないが、不思議なほど惨めな感情はなく、
当時はオーディションを受け続けながらその貧しさをも楽しんでいた。
必ず叶うであろう夢だけが全てを上手に照らしていたのだ。
結局、デビュー後も輝かしい日々は皆無だった訳だが、
だからこそ現在の生活は些細なことにも常に、
有り難さと豊かさを感じる。
入れたてのコーヒーを飲む朝、エアコンの効いた部屋、
お日様の匂いのする洗濯物、身を縮めず浸かれるお風呂、
そんな一つ一つが私の幸せの粒。
「可愛い子には旅をさせろ」ということわざもあるが実際、
息子がこの家を出ると言い出す日が来たら、淋しさが先立つのだろうか。
私の両親は、あの時どんな思いで私を見送ったのだろうか。
今度会ったら、訊いてみようと思う。
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